2019年


ーーー7/2−−− 重機の威力


 
住んでいる地域に、親水公園という名の公園があり、シニア住民有志が整備作業をしていることは、2017年1月の本欄に書いた。

 今年度も、草刈りや植木の剪定などを行っている。そのような通常の作業とは別に、先日は池の泥さらいをやった。

 この公園の池を使って、ここ数年、子供の夏休みのイベント「マスつかみ大会」を行っている。今年も7月の末に開催されるが、それに先立ち、池の底に溜まった泥を取り除くという作業。

 ちなみに「マスつかみ大会」は、この地域では言わば伝統的な行事で、昔は中房川の岸辺を堰き止めて水溜りを作り、そこにマスを放流して行っていた。数年前、親水公園を整備したことで、この池が使われるようになった。川で実施するのに比べて、近いし、安全だし、段取りもラクである。

 しかしこの泥さらい、なかなかの重労働である。池の底に数センチ溜まっただけの泥だが、人力のみで除こうとすれば、かなりきついものがある。そこで、この時期に行う本格的な作業には、重機が登場する。

 地域には、仕事上いろいろな重機を所有している人がいる。その人にバックホーとホイールローダーを提供してもらった。ついでにホイールローダーの運転もやってもらった。バックホーは、別の熟練者に操作してもらった。

 バックホーを池の中に乗り入れて、底の泥を寄せ、バケットでさらう。ちなみに、池の底はプールのようなコンクリート張りである。バックホーでは完全に取り切れないので、スコップを使った手作業で、泥をすくってバケットに入れた。それでも、重機の活躍で大いに助かった。

 ひとしきり泥さらいが終ると、池の縁の土手を整備した。これまで何度か、泥をスコップですくって土手に乗せたケースもあり、それが積み重なって尾根のように盛り上がってしまっている。それを平らに戻すという作業。

 この作業は、バックホーのデリケートな操作が求められる。泥山を手前にかき過ぎれば、池に落ちる。反対に押し過ぎれば、用水路に落ちる。少しずつ泥山を崩して取り除くのだが、それを運転手は器用にやってのけた。スコップによる補助的な作業は欠かせないが、やはり重機の威力が際立った。

 地面を掘り、土を寄せ、すくって運び、ホイールローダーに乗せる。さらに、凸凹になった地面を、バケットの横移動で平らにならし、最後は垂直にバンバンと叩いて固める。こんな作業を人力だけでやったらえらいことだ。同時にスコップを使って作業をしたので、一層重機のパワーが実感された。

 脇で一緒にスコップを振るっていた知り合いの人に「重機の威力は凄いですね」と言ったら、無言だった。言うまでも無いことを何で口にするのだろう?と思ったのか。

 

 

 










ーーー7/9−−− 下見登山


 
安曇平の穂高、松川地域の西にそびえる有明山は、この地のシンボル的存在である。奥に連なる北アルプスの峰々と比べれば標高は低いが、麓から見上げるこの山の存在感は圧倒的と言っても良いほどだ。

 私が初めて有明山に登ったのは、1990年の7月だった。その当時、有明山の山頂に至る登山道は三つあり、そのうちの松川村から登るルートを選んだ。今ではその登山道は荒廃のため閉鎖されている。まだ若く、体の動きも良い自分だったが、想像以上に険しい登山路に困惑したのを覚えている。頂上に着いてから、予定していた下山路を変更した。登山口までトラックで入ったので、来た道を戻る予定だったが、あまりの険しさに恐れを感じ、中房温泉に降りることにしたのである。トラックは翌日回収に行った。

 二度目は、1996年のやはり7月。小学6年生だった息子を連れて、中房温泉から登った。前回下山に使ったルートである。下ったときの印象は記憶に薄かったが、いざ登ってみると、のっけから急斜面だった。上部には鎖やロープ、はしごの難所もあった。子供を連れて登ることに不安を覚え、途中で引き返そうかと何度も思案した。息子がビビリ始めたら、迷わず中止して下っただろう。しかし、息子の気力も体力も陰りを見せなかったので、登り続け、結局山頂に達することができた。

 その後、2007年と2008年の二年連続で、有明山神社主催の登拝に参加した。この登拝については、2007年7月の記事を参照願いたい。ルートは山の正面(東側)から登る通称表登山道。私にとって三つの登山道のうち、最後に残された一つだった。このルートが一番険しいと言われているが、実際に登ってみて、その通説は正しいと思われた。

 この5月、有明山神社の総代から、下見登山に加わってくれないかと持ちかけられた。7月中旬に行われる登拝に先立ち、本番と同じルートを辿り、必要に応じて登山道の整備を行う登山である。私の登山に関する経験と体力を見込んでの依頼だった。教会に通う身としては、神社行事に関わることは遠慮したいところである。しかし、誰にでもできることではないので、私で役に立つなら協力しても良い、という気にもなった。神事には参加せず、あくまで登山道の整備という目的でという条件で、依頼に応じることにした。

 その登山が先日実施された。登山隊は8名。そのうち一人は体調不良で早々に離脱したので、最後まで踏破したのは7名だった。険しい登山路のところどころで、ロープを張り替えたり、ハシゴを修理したり、道端の笹を刈ったりという作業をした。曇天でスタートしたが、上りの途中から雨になり、雨具を着てもずぶ濡れになった。時として寒いくらいの状況だったが、逆に暑くなくて助かったという声も聞かれた。夏の炎天下でのこの登山路は、また厳しかろうと想像した。

 メンバーの中には、バテ気味の人もいたが、私としては、事前にトレーニングを重ねてきたので、体力的な自信はあった。しかし、足がつることだけが心配だった。一週間前から飲酒を控えたり、バナナや昆布を食べたりして、対策を取った。その効果が上がったのか、最後までつらずに済んで、安堵した。

 実は事前に登山隊の隊長から、本番の登拝にも参加して欲しいと言われた。下見登山をした人に、本番登山の班長を務めて貰えれば具合が良いと。今年は80名ほどの参加者がおり、それをいくつかの班に分けて実施する。その班長になってくれないか、との話だった。そういう事情は理解できるが、お断りした。登拝はそれ自体が神事という位置付けだと聞いているので、宗教上の理由から参加できないと説明した。そこら辺が、私としての線引きであった。




ーーー7/16−−− 獣肉の家庭料理


 
ご近所に猟友会メンバーのY氏がいるので、地域の会合で酒席が設けられれば、シカ、イノシシ、クマの肉が供されることがある。焼肉などで残ったものを、参加者がそれぞれ自宅に持ち帰ることもある。

 先日初めて、シカの生肉を個人的に頂いた。焼いて食べたらとても美味だった。たまたま週末に友人夫婦を我が家に迎えてパーティーをする予定だったので、肉の保存の仕方をY氏に電話で聞いた。すると、別の肉をあげるから、そんなものはさっさと食べてしまいなさいと言われた。

 翌日の夕方、お宅に立ち寄ったら、ストッカーの中に貯蔵されている大量の肉塊の一つを取り出して、これを持って行きなさいと言った。ビニール袋に入って凍結しているその塊は、ずっしりと重かった。イノシシとのこと。こんなに大きな肉の塊を手で持ったのは人生初である。

 二日後には、たまたま取れたのでと、クマとイノシシの内臓が届いた。この時期でも(猟期を外れていても)、有害獣駆除の目的で獣を捕獲することがある。内臓は、肉と比べると、一般人が口にする機会は少ないだろうとの事だった。

 続けざまに獣肉が持ち込まれ、我が家の台所は食肉加工業の様相を呈した。

 調理をするのはもっぱら家内である。私は包丁を研いだり、切り分けられた肉をビニール袋に入れるくらいである。家内は作業が進むに連れて、臭いが辛くなったらしいが、最後までやり遂げた。

 料理に仕上げられた獣肉は、いずれも美味だった。こんなに美味しいものだったのかと、意外に感じるほどだった。たぶん良い肉を頂いたのだろう。獣肉は、雌雄、年齢、体格などによる個体差が大きく、中にはほとんど食べられないものもある。今回は特別に当たりだったように思う。

 肉自体の優劣もさることながら、調理のし方も重要なポイントだと思われた。空きっ腹を抱えて暮らしていた縄文時代(?)なら調理の工夫など要らなかったかも知れないが、現代では臭みがあるとか、固いとかは敬遠される。手間を惜しまず、下処理の作業を重ねることでようやく、現代人の味覚に合うような味に仕上がるのである。そのプロセス如何によって、肉は生かされも殺されもする。

 肉料理を客人に振舞ったら、美味しいと評判だった。珍しいものを食べられて幸せだとの感想も聞かれた。





ーーー7/23−−− コンファメーションという言葉


 
会社員時代、入社して比較的早い時点で、単身ヨーロッパへ出張をしたことがあった。飛行機の便や、宿泊するホテルは、旅行のスケジュール合わせて、子会社の旅行代理店が手配をした。最終的な日程表を受け取ったとき、代理店の担当者が言った「ホテルは全て予約してありますが、宿泊日の数日前には必ずコンファメーション(confirmation)を電話かテレックスで入れて下さい。さもないと予約はキャンセルされてしまいます」

 予約確認をしないと、自動的に予約が取り消されてしまうと言うのである。それがヨーロッパのホテル業界の慣習になっていると。だから忘れずに、移動中なら電話で、滞在先の事務所ならテレックスで、予約の確認をするようにと、念を押された。

 予約確認と言うと、日本的発想ではあまり馴染みが無いように思うが、あえて言うならば、予定した日にちゃんと部屋が取ってあることの確認という、利用者側目線のことになろう。しかしあちらでは、その日に間違いなく泊まるということを客に再確認させる、ホテル側目線のことなのである。ホテルにしてみれば、予約だけではまだ半分で、直前の確認をもって正式に契約が成立するということなのだろう、

 40年ほど前の話である。今ではそのようなことは無いかも知れない。ネットで予約をし、カードで決済をする時代だから、いちいち予約確認をする必要も無いだろう。ともあれ、ここ30年くらい海外旅行などしていないから、そこら辺の事情は分からない。

 ところで、ここで私が述べたいのは、コンファメーションという言葉の概念。それまで、その英単語の意味は知っていても、社会生活の中でそのように重要な役割を持つとは知らなかった。なにしろ、コンファメーションをしなければ、ホテルにも泊まれないのである。そして、その後の会社仕事を通じ、海外案件を扱う際に、この言葉はしょっちゅう登場した。予定された事をあらためて確認するということが、生活の隅々で重要な意味を持つという、あちら社会の文化的な一面を、思い知らされた気がしたものである。

 そういう大切な言葉の概念を、大人になるまでの教育でちっとも教えられなかったことを、ちょっと不可解に感じもした。




ーーー7/30−−− ジャンヌダルク


 
映画「ジャンヌダルク」をテレビの録画で見た。リュック・ベッソン監督、1999年の作品である。

 ジャンヌダルクという人物については、一般的な知識程度で知っていた。フランスの田舎の少女が、フランス軍を率いて英国と戦い、奇跡の勝利をおさめ、その後火あぶりの刑に処せられたという悲劇のヒロイン。オルレアンの少女と呼ばれ、今でもフランス国内では絶大な人気があるという。

 その活躍ぶりは神がかり的であり、にわかに信じられない気もするが、歴史上の事実であるから、そういうこともあったのだろう、としか言えない。映画のストーリーは、そこら辺の事情を詳細に描いている。しかし、この映画を観た後に感じる何とも言えないモヤモヤは、その歴史的事実のトレースにあるのではない。

 ドラマの後半、ジャンヌが英国軍の捕虜になり、異端審問の裁判にかけられる頃から、彼女の前に第二の人格と言うか、神の使いというか、幻の男が現れる。異端審問はでっち上げのものであり、彼女を処刑したい英国側の思惑が押し通されたものであった。彼女自身に信仰上の落ち度は無く、後年ローマ教会により無実が確認され、聖人の列に加えられた。しかし、幻の男は執拗に彼女を責める。

 神の啓示によって戦ったと主張するジャンヌに対して、「そのようなことを、神がお前に頼むか?」と返す。様々な徴によって神に導かれたと言うと、「自分にとって都合が良い徴を見ただけだ」と反論する。そして「大義のためと言ってお前は人を殺した」と責め、恨みの感情に支配されて多くの罪を犯したと決め付ける。最後にジャンヌは幻の男に自らの罪を告解し、男は「これで準備は整った」と言ってジャンヌを火刑台に送り出す。

 歴史的英雄を、神の啓示を受けし者から一介の妄想にかられた罪人に転落させることが、この映画の目的なのか。そう考えるとモヤモヤとした気持ちになる。神の使徒であることを否定され、自らそれを認め、失意のうちに炎に焼かれるジャンヌが、惨めであった。この映画は、英雄、聖人を持ち上げて誉めそやすことに終始せず、見栄えの良いことの裏には別の真実があるものだと言いたかったのか。それとも、聖人ジャンヌダルクは、認めがたい真実を受け入れる、真に勇気ある誠実な人物だったと言いたかったのか。